人って、ある程度誰かの前だとその人にあわせた顔をしている
知らないうちにそうしている人もいるし
意図的にそうしている人もいる。
意図的にそうしている人は
もの凄く親切な人か、何かに媚びている人だと思う。
媚びる事はわるいことだとは思わない。
それは生きて行くためにときに必要なことだとおもうから。
でも、それはわかる人にはすぐにバレてしまうもの。
本人が媚びていることに、気づいていようが、気づいていまいが。
たまに、誰の前でも自分がベロンと出ている人に出会う。
どこに行っても
だれと逢ってもおなじテンションの人。
わたしは驚きすぎて心が浮つく。
そういう人をわたしは写真に撮ることができない。
その物や人に、失礼なきがしてしまう。
カメラなんかじゃ収まらない魅力があるから。
それは男性でも女性でもそうで、
そうゆう、服とか作品とかに出会うと
写真なんか必要ないっておもっちゃう。
だって、そこにそれがすでにあるから。
でも、しばらくすると
「記憶、記録」のための写真て必要なんだと気づいた。
それは
そんなに頭が鮮明に覚えていられるわけじゃないから。
そしてその脳は、進化しているから
必ず、そこにあった現実よりも美化していく。
だったら写真もその人や
その物以上によく見えるように撮ったほうがいい。
だからプロに頼んで撮ってもらおうとおもってる。
高校生の頃、無駄にカメラを持ち歩いて写真をとっていたけど、
現像したときに36枚撮りフィルムでその見た時の感動が入っているものは1枚あるかないかだった。
でも、((瞬間が大事))
物事はすべて瞬間とかタイミングだとおもってる。あの頃からそうだった。
あの頃はデジカメはすっごいおっきくて、
時分撮り用にレンズがぐるっとまわるのは希少価値だった。
19歳かそこらで買ったそのカメラはもう充電もしなくなったけど
いまでも捨てない。(中の写真が取り出せないってのもあるけどね)
いまは携帯でも自分が撮れる時代。
とても便利で、簡易的な時代になったから
どんどん進化してよくなるものもあるけど
「選んで現像」が主流なかんじ
賭けがなくて、なんだかつまらなくもあるな。
と感じている今日この頃。
ちゃんとした写真はやっぱりプロに頼もう
でも、記録は物以上によく撮ろう。
と、心がけようとおもうよ。