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実は、今日まで、入院しておりました。
理由から言うと、脳腫瘍の再発です。
色々、ご心配いただいたメールなど返さずにすみません…
生きるだけで一生懸命でした。
本当はFacebookもインスタグラムも見ていたんだけど、「いいね」を押すのをぐっと我慢していました。
冷たいわけじゃないんだけど、ほんとにひとつの「ルール」として。
寂しがり屋だから凄く二ヶ月間?三ヶ月間?寂しかったけど、
ある程度、慣れました。
今後は体調と様子みながらやっていきます。
入院してみて、生きているって凄いことだって思ったし、
みんな必死で「生きている」
「生きる」とゆうことに一生懸命。
数値がわかる装置を付けた人や、歩行器をつけている人や、
車椅子で動く人、大抵が点滴棒をもっていた。
不思議なよく解らない装置を付けて頑張っている人も居た。
そのなかで、わたしも頑張って居たわけです。
本を読みながら
JUVENILE HALL ROLLCALLや、bodysong.や、2(Ni)のシールや、POTTOや、VISIT FORで買った服や
NoritakeTシャツや自分でやった頃のbedsidedramaのTシャツや、JUNMIKAMIや、CZEREMONYや、
自分で塗ったり染めたりしたFREAKSの展示のTシャツ(XXXL)やYEAH RIGHT!!、
そういえばbodysong.のパーカーが熱くなって着てきたときに着ていたパーカーも、
普通に着ていたのもGRASS ONIONで買った
(点描しか描けなくなったって言っていた人のパーカーこれを脳外科で着るのはどうかとおもったけど、
見て目がかわいいし、今はちがうものをかいているようだから、◎とする)だったし、
カーディガンはCEMENT STOREの2重になっているめちゃんこお洒落なものだった。
あとはだいたい無印かユニクロ。とビンテージ古着。
一つ一つに思い出がぎっちりで、友達がやっている、こうゆうものしか着たくなくなる。
それは、見た目がたいそう、派手派手しかったでしょう。
まず、わたしのことをお話します。
長引き過ぎる風邪。
弱くなった気管支。
まとまらなくなってきた考え。
絶好調過ぎる未来。
やりたいことと、
やることのタイミングがこれほどまでに合致してた。
こんなにうまくいっていいのか?うまくいきすぎると、自分をうたがう。何かがおかしい。
こんなとき、
ああ、またか。
あり得る話だ。
2013.2.22の金曜日のMRI検査の日。3年ぶりに脳腫瘍の再発が見つかった。
そういえば、去年の暮れの検査の時に、
「15年だか18年経って再発して入院している人の話」を聞いて、
だいたい諦めがついていた。
コンタクトレンズをつけている人はわかるかもしれないけど、
ソフトやハードを長時間ずっとつけているみたい。
動向が開いてる?光が眩しいの。
4/1に手術。エイプリルフール。
え?マジかよ。
低気圧でもないのに、この頭痛がなくなるならとってほしい。
(4月1日ってエイプリルフールな前に、婦長も移動になって、
課長もかわって、新卒だらけで、
すごく上の方々が変わって早く退院したくて仕方なかったわけですが。)
お見舞いはどうしても、4/1に手術をしたかったからお断りしました。
エイプリルフールに手術をすること、それまでは絶対に風邪とかひけないので。
風邪をひくと手術が延びるので。
2013.2.22の入院手続きなどを済ませて、病院の帰り道、
駅のホームで母と2人でボー然としていると、
目の前にロープーウェイ(中野の地下にある店)のシールのスーツケースが通り過ぎて、
よく見たらSTOFのコートにSTOFのTシャツの人がいて、まえ働いていた階段社の社長だった。
わかった瞬間、おそらく、言いたくて言いたくて話しかけていたと思う。
「ねえ、ねえ、わたし、再発しちゃった」
こんなタイミングで言えるのは運命だと思った。
もう、しばらく口を割らないでいい。
その足でそのまま母に着いて来てもらって森美術館の会田誠展をみにいけたのが、
ほんとうに、よかったこと。
帰り、高層ビルをみながらジェラートを食べた。
色んなことが嘘みたいだと思った。
2013.2.23(次の日)あれは土曜日だったでしょうか。新宿でMRIの精密検査をした後、
手作業を母に手伝ってもらいながら、作業の説明しようとすると、喋ろうとしていることと、脳内にあるはずのことの意見がまとまらなくて、たいしたことは、話そうとしていないのに言葉がでない。
母が「お父さん、お父さん」と読んでいた。いったん中断…。
時空がズレて、わたしの見た目はどうだったんだ分からないけど、すんごい眩暈がして、突然倒そうで、救急車で運ばれて、2日間ほど入院した。
そのときも運良く同じ病院だった。(救急車はどこにいくかわからないから)
退院して、3月と4月の仕事を全て断った。関係者には伝えた。
本当に面白いことをブランド含め、自分の含め、幾つかするつもりだったから、本当に悔しい。
2日ほど入院して、退院して、なんとか2月までに仕上げなきゃと、
母と手分けして(母にはとても簡単な作業をしてもらった)
bodysong.×MOZZZの暗黒の猫のブルゾンを仕上げて、
JUVENILE HALL ROLLCALLのデータの加工はわたしがやって
(奇跡的にそんな感じのテーマでした)もうそこまでで、仕事は打ち切った。
先週、家から一歩も出れずに、家でずっと、ベンツが主催のファッションウィークのショーと、
PR01が発信しているファッションショーをみてた。
そこに話したことある人が出ている時代って、すごいと感じた。
ランウェイも、サイド客席も面白い。関係性までわかるショウ。
わたしはとても、とても、ハッピーだった。
昔、ファッション通信をおばあちゃんが見ていて、なにか一緒にやりたかったから。
ちょうど東コレがおわったころに2013.3.25に入院。
それまでは、毎日毎日身体との話し合いをしていた。
近所に行くのも、からなず家族が付き添ってくれた。
近所の眼鏡屋さんとタコ焼き屋さんにでかけていた。
2つ行けたら大したものだった。
だんだんと、近所の美容室に行くのにあわせて体調を整えた。
それまでは体調を整えながら、髪型の研究。
わたしは、すぐに疲れいた。
電車なんて街なんて、とても大げさに感じた。
仕事ギリギリまでして良いって医者から言われていたけど、自宅療養が精一杯だった。
もちろん、わたしは、ファッションがないと生きていけないし、
アートがないと、キラキラ出来ない。
でも、医療は、東コレよりもスゴイ装置が「使えるもの」として機能してある。
複雑な気持ちになった。役に立つものをつくったほうがいいのだろうかと頭をかすめた。
まだ考えようとすると、吐き気がするから「考えること」ができませんが。
そうこうしているうちに、
検査結果がでて、入院してみると、
腫瘍は悪性だから進行がとても早く、けっこう広がっていた。
そのことも、わたしはけっこうショックだった。
MRIとゆう造影剤を使ったレントゲンで、いつもは眠りそうなのに、
微振動で生唾がいっぱいになり吐きそうになった。
前回よりもキツイと自分でも悟った。
喋れなくなるかもしれないとか、
腫瘍のレベルが上がっているとか。
食べたら吐いたり、吐いたら下痢したり…。
マジで必死…。
髪型がまだまだ斬新なので会えませんが、顔の腫れと痣は殆どきひました。始め、片目があきませんでした。
今回は失語症にならなかったことだけおつたえしておきましょうか。
ゆっくり生きていくので、見守ってください。宜しくお願いします。
わたし、ずっと免疫力が低下しているような状態。
生きるために必要なことだけしていこうとおもう。
そのためには、友達が必要。
お金は生きる為に最低限でいい。
お金で人は変わるから。
そうゆう人しか残らないのもなんとなくわかるけど。
みまもってくだいさい。
※家族に迷惑をかけたくないので、家族の連絡先を知っている方に家族には決して、
連絡をしないでください。
- まだ伸ばそうとしていたのに、頭の中が熱い時代。
- そうだ!髪の毛凄く切る前に「水原希子カット」に母にしてもらおう!とおもいつく。
アバンギャルズ!ニットはもちろんJUN MIKAMI
- bodysong.とコアラTシャツ×頭の中が熱くて冷えピタ中
- わたしにも漢字はある。人の子だから。(笑)手術のため禁食
- 「手術前」
- 今日!(無理してますw)